こんにちは、くろね(@kurone82606706)です。
「宏洋の人生ゼンツッパ!! ※炎上注意!!※宏洋は幸福の科学と決別したのか?!」
という大川宏洋氏の動画がYouTubeで公開されました。
動画はこちら。
(注:この動画は第三者による著作権侵害の申し立てにより削除されました。)
https://youtu.be/pF1r0EpljJc
2018年10月1日に公開され、2018年10月6日時点で視聴回数17,811回、
高評価318、低評価255。
↓
2018年10月9日PM16:34時点で視聴回数246,267回、
高評価4646、低評価483。
コメント欄が若干炎上気味です。
結局、アップされてもすぐに削除されるので、以下に抜粋を紹介します。
Contents
「宏洋の人生ゼンツッパ!! ※炎上注意!!※宏洋は幸福の科学と決別したのか?!」抜粋
大川宏洋は幸福の科学の職員を辞めている。
教団の仕事は一切していない。
幸福の科学とは無関係。
大川宏洋は幸福の科学の信者ではない。
三帰誓願を自分はやっていないので、幸福の科学の信者でもない。
大川隆法の5人の子供全員も三帰誓願をやっていない。
幸福の科学の職員は法律上ボランティアと同じで雇用契約も結んでいないので、勝手に辞めても問題ない。
ゲートボール同好会を自由に辞めていいのと同じ。
大川宏洋は、大川隆法を神と思ったことは一度もない。戸籍上の父親。
大川隆法と幸福の科学は、大川宏洋にとって過去の遺物。
そもそも、教義の内容に賛同できない部分がたくさんある。
大川隆法と考えを合わせないといけないのが一番合わなかった部分。
価値観を1つにしないといけないというのが気持ち悪く、生理的に無理だった。
例えば、「大川隆法が清水富美加が世界一かわいい」といったら、それに合わせないといけない。
価値観を強要する世界観はおかしい。
根本的な考え方が合わない。
大川隆法や幸福の科学と関わるのは時間の無駄で不毛なことなので関わらない。
幸福の科学の被害者の会のようなところに手を貸す気もない。
新しい教団を作る気もない。
アンチの活動をしたいわけではなく、自分のやりたい映画監督などの仕事をしたい。
清水富美加の芸能界脱退(出家事件)には納得できなかった。
大人としてやってはいけないことをした。辞めるなら筋を通すべきだった。
清水富美加はジャンヌ・ダルクのような演出はすべきでなかった。
大川隆法総裁が扇動した。
◯◯◯◯が信者であることを、本人に無断で暴露したのはプライバシーの侵害。
DAIGOの霊言は名誉毀損そのもの。大川隆法は北川景子の大ファンだから、公私混同しているだけ。
世の中に迷惑かけるようなことはしないでくれ。
自分は仕事の予定もいっぱい入っているんで、これ以上幸福の科学には関わらない。
これからはエンタメ関係の仕事に関係することをしていく。
サンデー・ジャポンから仕事が欲しい。
大川宏洋氏の幸福の科学に対する誤解
・・・
いや、これはちょっとまずいですね。
幸福の科学が、というよりも大川宏洋氏が。
というのも、大川宏洋氏は、わざわざ動画で
「自分は、大川隆法氏の教えを理解していなかった」
ということを暴露しているから。
それは『大川隆法と考えを合わせないといけないのが一番合わなかった部分』という一言に現れています。
そのような決まりは、幸福の科学の教えにありません。
大川宏洋氏の明らかな誤解です。
私からすると、「えっ!?何を一人で勘違いしてるの!?(苦笑)」というレベル。
「大川隆法と考えを合わせなさい」なんて、聞いたことも読んだこともありません。
まさか、大川隆法氏の実子ともあろう人が全く教えを理解していないとは衝撃でした。
幸福の科学の教えは、個性を尊重し、互いに愛し合い・生かし合い・許し合うこと。
多様性の尊重こそ、幸福の科学の特長。
大川隆法氏が神なのかどうかは私にも分かりませんが、嘘はいけません。
今回のYouTubeを観て、大多数の幸福の科学信者は絶句したことでしょう。
大川宏洋氏は、「幸福の科学と自分は関係ない」と宣言することで、社会に受け入れてもらおうとしているのかもしれません。
まぁ、動画の最後で芸能界に媚びを売りまくっているところを見ると、
大川宏洋氏がその程度の人物ということが分かりました。
嘘をつくのは許せませんが、あまりにも父親が有名なのもかわいそうですね。
以上
大川隆法氏の意味深な寄稿が話題!
2018年9月20日に発刊された幸福の科学の小冊子「幸福の科学No.380」で、
大川隆法氏の意味深な寄稿がありました。
以下が大川隆法氏の「心の指針166」の内容です。
親子の逆転
同じ家族として過ごした親子なのに、
どうして気立ても、
才能も違っていくのだろうか。
魂の違いといってしまえば、
それまでなのだが、
どうしても、
この世では親子の秩序が、
優先するような気がして、
納得がいかないものだ。
旧い言葉では、
「鳶が鷹を生む」
ということもある。
平凡な親から非凡な子が生まれるたとえだ。
逆もまた真なりで、
非凡な親から平凡な子が生まれることもある。
あるいは運命のいたずらかとも思うが、
光が強ければ、
闇もまた強し、という気がする。
ただ、単に、
上下の問題だけではなく、
異質としかいいようがない場合もある。
とにかく世の中は一筋縄では行かぬ。
いっそのこと家族を、
動物園にたとえて、
上下ではなく、
違いを楽しんだ方がよいかもしれない。
違いがあるから、生まれてくる意味もあるんだ。